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オフィス長からのメッセージ

オフィス長
総合文化研究科教授/グローバリゼーションオフィス長 矢口祐人

遠い昔の話、日本がバブル景気に湧く時代、私は札幌市内の高校を卒業して、そのまま地元の北海道大学に入学しました。

ところが大学には1年ちょっとしか行かず、結局、中退してしまいました。
今考えてみても、なぜ大学を辞める決意をしたのか、よく思い出せません。正直、あまり深く考えていませんでした。ただなんとなく大学が面白くなく、4年間、だらだらと過ごすことが退屈に思えたのです。

むろん、授業が面白くなく、生活が退屈だった原因は私にありました。やる気がないからほとんど勉強はしない。気分がのらなければ授業に行きさえしない。出席してもほとんど聞いていない。日々の生活に明確な目標もなく、遊ぶことばかり考えているから、いくら遊んでもきりがない。その瞬間は楽しくても、なんとなく充実感に乏しい。そんな自分を棚にあげて「この授業は無意味だ」、「札幌での生活は退屈だ」などと考えていた私はひどく傲慢で、典型的なダメ学生だったと今は深く反省しています。

そんな自分が変わったのは、アメリカへ留学してからです。大学1年のとき、たまたま家族の知り合いが教員をしている、インディアナ州北部の小さな大学に来ないかと誘われました。大学生活が退屈だったので、2年生の後半から、比較的気軽な気持ちで行くことにしました。最初はすぐに帰ってくるつもりでしたが、結局、札幌に戻らず、そこの大学を卒業してしまいました。

私が留学したのはゴーシエン大学(Goshen College)というリベラルアーツ・カレッジです。アメリカでもそれほど名が知られている学校ではありません。入学競争率は低く、日本風に言えば「偏差値は高くない」大学です(東大の半分くらいかもしれません)。

最初に履修したのは言語学の授業でした。当時、英語が得意だと思い込んでいた私はそれなりの自信を持って臨んだのですが、何もわかりませんでした。最初はいつものように「教授が悪い」と人のせいにしていましたが、どうやら周りは理解しているようですし、楽しんですらいるようです。これはまずいと思って勉強をしましたが、結局よくわかりませんでした。成績はC(可)、それも「大仏」の先生から頂いたオマケのCでした。

それ以降の授業も同じでした。先生の言っていることはわからないし、学生同士のディスカッションになるともっとわかりません。毎日が苦痛でした。今振り返っても、もう一度あのような体験をしたいとは思いません。

しかしその苦痛のなかで、いくつか貴重な経験をしました。まず、リベラルアーツ・カレッジの先生方の学生に対する姿勢に驚きました。クラス全員の名前を覚えて、あてるときは必ず名前で呼んでくれます。キャンパスで会うと、いつも笑顔で挨拶してくれます。小テストやレポートは丁寧に採点して、すぐに返却してくれます。必要であればいつでも個別面談の時間をいつでもとってくれます。「大学は教育機関である」、「教員は学生のためにいる」という意識が徹底していました。アメリカの小さな大学では当然のことですが、日本の大きな総合大学から行った私にはほんとうに衝撃的でした。

授業の方法も違いました。一学期に授業はせいぜい4つか5つ程度しか履修しません。その代わり、ひとつの授業が週に2~3回あります。そして、とにかく膨大な量の課題が出されました。私はアメリカ文学を専攻することにしたので、大量の本を読まされ、たくさんレポートを書かされました。一週間にこんなに読めるわけないと悲鳴を上げたくなるほどの読書量でした。しかも授業では全員が読んできたものについて、率直な意見交換を延々とするのです。黙っていると、宿題をやってこなかったように思われてしまいます。でも何をどう言ってよいかわからず、泣きたくなりました。レポートを書く作業も、それまで簡単な英作文程度しかやったことのなかった私には途方もなく困難でした。どんなに一生懸命書いても、返却されたものはいつも真っ赤に添削され、成績はいまひとつでした。読み、書き、話し、すべてにおいて劣等感を覚えて、朝から晩まで図書館で必死に勉強をしました。日本の学生時代の千倍は勉強したと思います。すると、それまで面白くなかった勉強がなんとなく楽しくなってきたのです。卒業後、大学院に行く決断をしたのは、学部時代のこの体験が大きかったと思います。

学生も日本とは違いました。ほとんどの学生が寮に住んでいるので、朝から晩まで生活を共にします。娯楽のない小さな町なので、遊ぶ時はキャンパスで過ごす以外ありません。みんなで映画を見たり、友人のコンサートに行ったりなど、ものすごく密度の濃い交流がありました。寮のルームメートはニューヨーク市出身の黒人で、私とはまったく違う世界から来た人でした。また、この小さな大学には世界各地からの留学生がたくさんいました。私は留学生会をみんなで組織して、いろいろなイベントを催しました。アメリカの中西部のトウモロコシ畑に囲まれた大学にいながら、韓国、台湾、中国、マレーシア、インドネシア、インド、パレスチナ、オランダ、フランス、ホンジュラス、ドミニカ、ベリーズ、エチオピア、ソマリアなどから来た学生と仲良くなり、自分が世界情勢をいかに知らないかに気付いたのです。

たいして深く考えずに北海道大学を辞め、アメリカの大学へ移った自分の決断は、今考えると良いものであったと感じています。ちょっと大袈裟ですが、人生が変わりました。自分自身や周囲の人びと、物事に対する感覚を根本的に考え直す機会になりました。いま自分が大学の教員になり、このような仕事をしているのも、留学体験があったからこそです。

むろん、私は東大生に東大を辞めて、海外の学校へ行きなさいと言いたいわけではありません(そんなことはしないでね)。しかし私自身が自分の「殻」の外に出ることで得た経験と似たようなことを、皆さんにも学生生活のあいだに、どこかで体験して欲しいと切に願っています。それには人それぞれ、いろいろな方法があります。海外でなければならないわけではないし、長期留学である必要もないでしょう。しかし日本の外で学ぶというのは、新しい世界に触れ、自分の知見を拓いていくためのひとつの有効な手段です。グローバリゼーション・オフィスはそのためのアドバイスを提供するところです。ぜひ気軽に立ち寄ってください。